일본군'위안부' 문제 언론 자료 창고/2013.1.~2013.12

<慰安婦のために慰めにもならないもの(Ein schwacher Trost für die "Trostfrauen")>2012.7.4.

윤명숙 2013. 5. 20. 01:37

Ayaka Löschke님의 사진을 공유했습니다. 페이스북

これは、スイスの大手新聞"Tagesanzeiger"が、日本人の「責任を引き受けられない」倫理性の考察を踏まえ、昨年2012年7月にニコンのギャラリーで開催された「慰安婦」の写真展を巡る一連の騒動について取り上げた記事の全訳です。

この記事を翻訳した理由を含めて、まずは私にコメントさせてください。

橋下徹・大阪市長の「慰安婦発言」に関して、日本では目下のところ、「売春の是非」や「女性蔑視」のレベルでの橋下批判、その一方、「他の国も戦時中、同じようなことをやったと推測され得るのに、なぜ日本だけが責められなければならないのか」という、いわゆる「自虐的な歴史観」に反対する文脈での橋下氏への賛同など、大きく分けて二つの意見が飛び交っていると見受けられます。

今回のヨーロッパのメディア報道を受け、私も再びコメントしなければなりません。少なくとも、ヨーロッパのメディア、特に敗戦国であるドイツメディアが今回の橋下発言と、それが許される日本の現状を憂慮したのは、「売春の是非」や「女性蔑視」の文脈においてではありません。橋下市長の発言は、「売春の是非」や「女性蔑視」云々のレベルではなく、「"少しでも"戦争犯罪の擁護と受け取られる」限りにおいて、こちらの世論での「限度」を超えていたのです。個別のレベルでの売春・女性蔑視と、国家が組織的に行った(Facebookでもこのところ、急速に国が「慰安所」を組織的に運営した証拠書類がシェアされ始めています)戦争犯罪では、レベルが全く異なるのです。

戦後のヨーロッパ社会、特にドイツ社会は、第二次世界大戦への反省という大前提のもとに成り立っています。

前回の翻訳記事をシェアして下さった方のうち、何人かのコメント欄にも書きましたが、ドイツ人の多くも、ロシア軍による残虐な略奪・強姦・殺戮行為に歯ぎしりし、その被害を国際的に大々的にアピールできないことを苦々しく思っています。しかし、若者にそれについて尋ねても、「まずは謝罪が済んでからで、その後、ロシア軍による残虐な行為について改めて取り沙汰することができるだろう」という見解がほとんどなのです。

つまり、ドイツは、「愚かなことにナチスの台頭を容認し、全世界を悲惨な戦争に巻き込んだ責任」があまりに重く、少なくとも公人、特に政治家は、少しでも「戦争犯罪の擁護」と受け取られ兼ねない発言を絶対にしてはいけない…そうした広範な合意のもとに世論形成がなされているのです。今回の橋下発言は、米軍の風俗産業利用の提案の文脈のもとにありましたが、今回、世界メディアを驚愕させたのは、その問題を「戦争犯罪」と同じ土壌で論じたからなのです。繰り返しますが、「売春」と、国家が組織的に行った「戦争犯罪」とでは、次元が大きく異なります。

残念なことに、日本の大手メディアはまたしても、このような問題の整理を怠りました。「売春の是非」や「女性蔑視」のレベルで批判を展開している「著名人」、そして、問題の整理もできない日本の大手メディアも含めて、世界は今、日本に驚愕しているのです。

さて、慰安婦問題に関して、私も近年の経緯を振り返ってみました。やはり、世界のメディアは、去年のニコン・ギャラリーで開催された「慰安婦」写真展のニュースも丁寧に取り上げていました。

一例として、スイスの新聞"Tagesanzeiger"の記事を再び全訳したので、是非ご一読下さり、日本のメディアによる報道と比較してみて下さい。長いですが、皆さんの時間を絶対に無駄にはしません!写真は、記事に掲載されたものをそのまま使用させていただきました。原文はこちらにあります:
http://www.tagesanzeiger.ch/kultur/ausstellungen/Ein-schwacher-Trost-fuer-die-Trostfrauen/story/22695985

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<慰安婦のために慰めにもならないもの(Ein schwacher Trost für die "Trostfrauen")>

(東京からChristoph Neidhartによる報告。2012年7月4日)

東京で、ある写真家が性奴隷(Sex-Sklavinnen)の写真を展示する。政治家たちは、展覧会を阻止しようしたが、無駄だった。

日本語では、人は常に謝罪している(sich entschuldigen)。電話による会話、そもそも、すべての話し合い(Gespräch)は、お詫び(Entschuldigung)でもって始まる。人は、頼みがあれば詫びを入れるし、たとえ頼みごとがなくても、何か用件があるだけでもお詫びする(注:「すみません」の用法を指す)。会話の終わりにも、人はさらなる決まり文句でもってお詫びする、「厚かましかったですね(Ich war frech)」と。これは正しい言語使用である。日本人たちが、彼らが言った通りのことを本当に思っている(meinen)かどうかは、ますます明らかではない。まぁ、我々(注:ドイツ語圏の人間)のうちの誰が、"Grüss Gott" (注:直訳すると「神様に挨拶しましょう!」)と言うときに、神について念頭に置いているだろうか?いや、そのとき誰も神のことを思い浮かべたりはしないだろう。

似ているのが、スキャンダルが巻き起こったときに経営者(Manager)や政治家が行うお辞儀だ。お辞儀は、むしろ、謙虚さ(Demut: へりくだり)を表す一つの儀式である。人は日本で常に謝罪しているが、権力者にとって最も気が進まない(jemandem schwer fallen)のが、罪に責任を持つことである(Schuld einstehen)。あるいは、ひたすら(nur)責任を引き受けることである。

[政府は嘲笑する(Die Regierung verhöhnt)]

それは、昨年、一連のスキャンダルを引き起こしたある会社の株主総会を見た日のことだった。東京電力は、安全規定が十分厳しくなかったとして、政府に福島の大惨事(Katastrophe)の責めを負わせた。関西地方の電力供給者である関西電力は、株主総会の場で、大株主(Hauptaktionär)である大阪市を嘲笑した。

第二次日中戦争が問題になるとき、日本人の責任を引き受ける際の嫌々ながらの態度(Unwilligkeit)が特に明らかになる。天皇の軍隊が20~30万人の中国人を殺害した1937年の南京大虐殺は、中国人の捏造であるとして、(日本の)多くの政治家によって軽くあしらわれてしまう(abtun)。いわゆる「慰安婦(Trostfrauen)」も単なるプロパガンダであったにすぎないとしておこう、というのだ。見積もりによっては40万人もの性奴隷の大多数は、日本軍が軍の買収宿へ強制連行した韓国人女性である。女性たちは売春婦であって、彼女たちは、何に巻き込まれたのかということを知っていたはずで、お金に目がくらんでいた、と日本の右翼は主張する。野田佳彦内閣もそのことを似たように見ている。こうした主張が何も事実に合致しないということは、生き残った人々の発言と多くの研究が裏付けている。一部は非常に若い女の子(Mädchen)たちが拉致され(verschleppen)、嘘の説明でもってだまされたのだ。

[展示会開催者への圧力(Druck gegen die Aussteller)]

90年代まで、東京の政府は全てを否認してきた。その後、日本の歴史家の一人が不利な(belastende)文書を軍の公文書保管所(Armeearchiv)で見つけた。補償について、東京の政府は何も知ろうとせず、1965年のいわゆる日韓基本条約でもって、全ての韓国側の要求は弁済(abgelten)されたと主張する。さらに、日本は謝罪したとも言われている(es heisst)。実際に、当時の首相・村山富市は1995年、日本の戦争犯罪を遺憾に思うと表面的には(halbherzig)表明した。しかし、彼はそれを書面の上で行うことを拒んだのだ。それ以来、東京の政府は、この中途半端な(halb)謝罪をさらに弱めてきたのだ。

2011年の12月、韓国の女性活動家が在韓・日本大使館に対し、「慰安婦」のための銅像を建てた。東京の中央政府は、その銅像が、その第22条第2項が「(大使館の)受け入れ国が大使館を守らなければならない」と定めているウィーン条約に抵触するとして、抗議した。

日本在住の若い韓国人写真家であるAhn Sehongは、長年に渡り、中国に置いていかれた(zurücklassen)「慰安婦」たちを訪ね、写真に収めた。そこで浮かび上がったのは、人生を奪われてしまった、みすぼらしい高齢の女性たちの悲しげな肖像の数々である。

東京にあるカメラメーカー・ニコンのギャラリーは、やはり、それらの肖像を展示したいと願った。しかし、日本の右翼の愛国者は、抗議の嵐を煽り立て、ニコンに圧力をかけた。ギャラリーが展示をキャンセルするまでに。写真家Ahn Sehongはこれをよしとせず(nicht hinnehmen)、東京地裁に訴えた。東京地裁は彼の言い分を認めた。写真は文化であり、いかなる政治的な発言ではなく、ニコンは写真家との契約を一方的に解消できないと(注:この地裁の見解に対して、私は疑問を覚えます。写真が政治的な発言であると定義できるにせよ、いずれにせよ「言論の自由」が確保されて然るべきだと考えます)。

ギャラリーは控訴したが、展示会は予定道理、土曜日に開幕した。ただし、ニコンは写真家Ahn氏に、「慰安婦」のパンフレットを陳列することを禁止した。そして彼は、ギャラリー内でジャーナリストと話すことも禁じられた。このことを守らせるために、ニコンは監視者(Aufpasser)をわざわざ雇ったのだ。監視者がAhn氏を咎める前に、監視者は当然(selbstverständlich)、彼に「すみません!」と詫びなければならない(注:最後の一文は、冒頭の日本人のメンタリティーの考察に関連していて、日本人が「すみません」と形だけ詫びることを皮肉っている)。

 

これは、スイスの大手新聞"Tagesanzeiger"が、日
本人の「責任を引き受けられない」倫理性の考察を踏まえ、昨年2012年7月にニコンのギャラリーで開催された「慰安婦」の写真展を巡る一連の騒動について取り上げた記事の全訳です。

この記事を翻訳した理由を含めて、まずは私にコメントさせてください。

橋下徹・大阪市...長の「慰安婦発言」に関して、日本では目下のところ、「売春の是非」や「女性蔑視」のレベルでの橋下批判、その一方、「他の国も戦時中、同じようなことをやったと推測され得るのに、なぜ日本だけが責められなければならないのか」という、いわゆる「自虐的な歴史観」に反対する文脈での橋下氏への賛同など、大きく分けて二つの意見が飛び交っていると見受けられます。

今回のヨーロッパのメディア報道を受け、私も再びコメントしなければなりません。少なくとも、ヨーロッパのメディア、特に敗戦国であるドイツメディアが今回の橋下発言と、それが許される日本の現状を憂慮したのは、「売春の是非」や「女性蔑視」の文脈においてではありません。橋下市長の発言は、「売春の是非」や「女性蔑視」云々のレベルではなく、「"少しでも"戦争犯罪の擁護と受け取られる」限りにおいて、こちらの世論での「限度」を超えていたのです。個別のレベルでの売春・女性蔑視と、国家が組織的に行った(Facebookでもこのところ、急速に国が「慰安所」を組織的に運営した証拠書類がシェアされ始めています)戦争犯罪では、レベルが全く異なるのです。

戦後のヨーロッパ社会、特にドイツ社会は、第二次世界大戦への反省という大前提のもとに成り立っています。

前回の翻訳記事をシェアして下さった方のうち、何人かのコメント欄にも書きましたが、ドイツ人の多くも、ロシア軍による残虐な略奪・強姦・殺戮行為に歯ぎしりし、その被害を国際的に大々的にアピールできないことを苦々しく思っています。しかし、若者にそれについて尋ねても、「まずは謝罪が済んでからで、その後、ロシア軍による残虐な行為について改めて取り沙汰することができるだろう」という見解がほとんどなのです。

つまり、ドイツは、「愚かなことにナチスの台頭を容認し、全世界を悲惨な戦争に巻き込んだ責任」があまりに重く、少なくとも公人、特に政治家は、少しでも「戦争犯罪の擁護」と受け取られ兼ねない発言を絶対にしてはいけない…そうした広範な合意のもとに世論形成がなされているのです。今回の橋下発言は、米軍の風俗産業利用の提案の文脈のもとにありましたが、今回、世界メディアを驚愕させたのは、その問題を「戦争犯罪」と同じ土壌で論じたからなのです。繰り返しますが、「売春」と、国家が組織的に行った「戦争犯罪」とでは、次元が大きく異なります。

残念なことに、日本の大手メディアはまたしても、このような問題の整理を怠りました。「売春の是非」や「女性蔑視」のレベルで批判を展開している「著名人」、そして、問題の整理もできない日本の大手メディアも含めて、世界は今、日本に驚愕しているのです。

さて、慰安婦問題に関して、私も近年の経緯を振り返ってみました。やはり、世界のメディアは、去年のニコン・ギャラリーで開催された「慰安婦」写真展のニュースも丁寧に取り上げていました。

一例として、スイスの新聞"Tagesanzeiger"の記事を再び全訳したので、是非ご一読下さり、日本のメディアによる報道と比較してみて下さい。長いですが、皆さんの時間を絶対に無駄にはしません!写真は、記事に掲載されたものをそのまま使用させていただきました。原文はこちらにあります:
http://www.tagesanzeiger.ch/kultur/ausstellungen/Ein-schwacher-Trost-fuer-die-Trostfrauen/story/22695985

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<慰安婦のために慰めにもならないもの(Ein schwacher Trost für die "Trostfrauen")>

(東京からChristoph Neidhartによる報告。2012年7月4日)

東京で、ある写真家が性奴隷(Sex-Sklavinnen)の写真を展示する。政治家たちは、展覧会を阻止しようしたが、無駄だった。

日本語では、人は常に謝罪している(sich entschuldigen)。電話による会話、そもそも、すべての話し合い(Gespräch)は、お詫び(Entschuldigung)でもって始まる。人は、頼みがあれば詫びを入れるし、たとえ頼みごとがなくても、何か用件があるだけでもお詫びする(注:「すみません」の用法を指す)。会話の終わりにも、人はさらなる決まり文句でもってお詫びする、「厚かましかったですね(Ich war frech)」と。これは正しい言語使用である。日本人たちが、彼らが言った通りのことを本当に思っている(meinen)かどうかは、ますます明らかではない。まぁ、我々(注:ドイツ語圏の人間)のうちの誰が、"Grüss Gott" (注:直訳すると「神様に挨拶しましょう!」)と言うときに、神について念頭に置いているだろうか?いや、そのとき誰も神のことを思い浮かべたりはしないだろう。

似ているのが、スキャンダルが巻き起こったときに経営者(Manager)や政治家が行うお辞儀だ。お辞儀は、むしろ、謙虚さ(Demut: へりくだり)を表す一つの儀式である。人は日本で常に謝罪しているが、権力者にとって最も気が進まない(jemandem schwer fallen)のが、罪に責任を持つことである(Schuld einstehen)。あるいは、ひたすら(nur)責任を引き受けることである。

[政府は嘲笑する(Die Regierung verhöhnt)]

それは、昨年、一連のスキャンダルを引き起こしたある会社の株主総会を見た日のことだった。東京電力は、安全規定が十分厳しくなかったとして、政府に福島の大惨事(Katastrophe)の責めを負わせた。関西地方の電力供給者である関西電力は、株主総会の場で、大株主(Hauptaktionär)である大阪市を嘲笑した。

第二次日中戦争が問題になるとき、日本人の責任を引き受ける際の嫌々ながらの態度(Unwilligkeit)が特に明らかになる。天皇の軍隊が20~30万人の中国人を殺害した1937年の南京大虐殺は、中国人の捏造であるとして、(日本の)多くの政治家によって軽くあしらわれてしまう(abtun)。いわゆる「慰安婦(Trostfrauen)」も単なるプロパガンダであったにすぎないとしておこう、というのだ。見積もりによっては40万人もの性奴隷の大多数は、日本軍が軍の買収宿へ強制連行した韓国人女性である。女性たちは売春婦であって、彼女たちは、何に巻き込まれたのかということを知っていたはずで、お金に目がくらんでいた、と日本の右翼は主張する。野田佳彦内閣もそのことを似たように見ている。こうした主張が何も事実に合致しないということは、生き残った人々の発言と多くの研究が裏付けている。一部は非常に若い女の子(Mädchen)たちが拉致され(verschleppen)、嘘の説明でもってだまされたのだ。

[展示会開催者への圧力(Druck gegen die Aussteller)]

90年代まで、東京の政府は全てを否認してきた。その後、日本の歴史家の一人が不利な(belastende)文書を軍の公文書保管所(Armeearchiv)で見つけた。補償について、東京の政府は何も知ろうとせず、1965年のいわゆる日韓基本条約でもって、全ての韓国側の要求は弁済(abgelten)されたと主張する。さらに、日本は謝罪したとも言われている(es heisst)。実際に、当時の首相・村山富市は1995年、日本の戦争犯罪を遺憾に思うと表面的には(halbherzig)表明した。しかし、彼はそれを書面の上で行うことを拒んだのだ。それ以来、東京の政府は、この中途半端な(halb)謝罪をさらに弱めてきたのだ。

2011年の12月、韓国の女性活動家が在韓・日本大使館に対し、「慰安婦」のための銅像を建てた。東京の中央政府は、その銅像が、その第22条第2項が「(大使館の)受け入れ国が大使館を守らなければならない」と定めているウィーン条約に抵触するとして、抗議した。

日本在住の若い韓国人写真家であるAhn Sehongは、長年に渡り、中国に置いていかれた(zurücklassen)「慰安婦」たちを訪ね、写真に収めた。そこで浮かび上がったのは、人生を奪われてしまった、みすぼらしい高齢の女性たちの悲しげな肖像の数々である。

東京にあるカメラメーカー・ニコンのギャラリーは、やはり、それらの肖像を展示したいと願った。しかし、日本の右翼の愛国者は、抗議の嵐を煽り立て、ニコンに圧力をかけた。ギャラリーが展示をキャンセルするまでに。写真家Ahn Sehongはこれをよしとせず(nicht hinnehmen)、東京地裁に訴えた。東京地裁は彼の言い分を認めた。写真は文化であり、いかなる政治的な発言ではなく、ニコンは写真家との契約を一方的に解消できないと(注:この地裁の見解に対して、私は疑問を覚えます。写真が政治的な発言であると定義できるにせよ、いずれにせよ「言論の自由」が確保されて然るべきだと考えます)。

ギャラリーは控訴したが、展示会は予定道理、土曜日に開幕した。ただし、ニコンは写真家Ahn氏に、「慰安婦」のパンフレットを陳列することを禁止した。そして彼は、ギャラリー内でジャーナリストと話すことも禁じられた。このことを守らせるために、ニコンは監視者(Aufpasser)をわざわざ雇ったのだ。監視者がAhn氏を咎める前に、監視者は当然(selbstverständlich)、彼に「すみません!」と詫びなければならない(注:最後の一文は、冒頭の日本人のメンタリティーの考察に関連していて、日本人が「すみません」と形だけ詫びることを皮肉っている)。